あれから17年も経っちまった

昨日の4月25日は、尾崎豊の命日だった。享年26歳。おいらは当時25歳だった。

先日、敬愛するぱてん氏からパフュームの代々木体育館ライヴに上京するという連絡を受け、「わざわざ東京までライヴ観に?」と苦笑したもんだが、その昔、おいらも、尾崎のラストライヴとなってしまった同じ代々木のステージを観に、わざわざクマモトから行ったんだっけな、、と話しながら思い出した。

e0089956_13321640.jpg電話切った後、そいや、尾崎が死んじゃったとき、地元タウン誌の編集長から、寄稿の依頼受けて書いた追悼文があったなぁ、、と、思い出し、ホコリかぶったフロッピーデータを探したら、おっと出て来た、、なつかしい、、
学生時代、何年もその編集長のもとで映画紹介を書かせてもらい、自分としてはかなりチャレンジングな文面を何度も出したんだけど、そのたんび、いつも笑って受け入れてくれたT編集長、、ああ大好きだったなぁ、今はもうステキなお母さんなんだろーな、、とか、思ったり。今おいらが食えてるのは、T編集長が当時のおいらの実験的文章を許容してくれたのはかなり大きい、、感謝してます。そのT編集長の後を受け継いだ超保守的バカ女Yとは全くソリが合わんかったけどね、、

んで、今回その尾崎の追悼文を久々読み直して、それ最初読んだT編集長が「鳥肌立った」って感想言ったのを思い出した、、確かにテクニック的には全然なんだが、当時のおいらにゃ今のおいらに全く出せなくなった熱というものがあったんだなぁ、、42のおいらが26のおいらに負けてる、、。たまには過去書いた文章を見るのも新鮮で良いな。

てことで、そんときの追悼文をばコピペして、天国の尾崎へのメッセージ、今のオイラ自身への叱咤激励としよう。尾崎、おいらはまだ頑張ってっぞ〜!二児の父としても!
あ、、そういや17年前の今の時期だったなぁ、カミサンと出会ったのは、、おいらの人生から見れば無くしたもんと得たもんがクロスした時だったんだぁ、1992年4月というのは、、、



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 4月25日。激しい痛みを伴って僕の胸に大きな風穴が空いた。以前から予期していたそれだったにもかかわらず、その痛さ、大きさは予想以上の衝撃だった。風は、最後に数え切れぬほどの悲しみを落とし、駆け抜け、とうとう星になった。

 ロックンローラーという名のもとに、心と生命を削って、その一曲一曲に彼の精神・肉体全てを支配する情念を刻みつけた風の戦士・尾崎豊が消えた。 

 彼について日々伝えられ語られるものは、全て事実であって事実でない。彼と僕らの間にある事実は、彼が残した作品…それだけである。その事実の中で、それぞれに、それぞれの尾崎豊が刻まれていったはずである。 
 カリスマ、教祖、十代の代弁者…生前から語り尽くされている彼の伝説性、あるいは彼の音楽性すら僕には全く関係ない。

 “I ── with my eyes burning much more strongly than Robert De Niro's in The Taxi Driver~"

 「十七歳の地図」のジャケットに浮かぶ英文字は「タクシー・ドライバー」のデ・ニーロよりも熱く激しいテロリストの血を持つ尾崎豊を示していた。銃の代わりにマイクロフォンとギターを手にして、弾そうに込める弾丸の代わりに、覚束無いメロディに乗っかり切れぬほどの言葉を詰め込み放つ、彼はテロリストだった…
 あの宿命の85年11月15日の代々木オリンピック・プールのステージまでは。

e0089956_1332389.jpg デビュー当時、彼の放つ言葉は、自らを支配する孤独と絶望から彼自身を救済する術でしかなかった。ペシミズムに彩られた言葉の底を支えていたのは、彼自身のかたくなまでのエゴ…それだけだった。
 彼の言葉に共感はせずとも、無垢なる魂を汚すものに獰猛な牙を向ける、言葉を支えたその清潔で純粋なエゴに僕は魅かれていた。

 「俺は生命をかける。信じる奴はついて来い」

 85年11月15日、心優しきテロリストは、テロリストとしての道を誤った。吐いてはならぬ言葉を口にした。自らのエゴを自分を求めるファンに与えた。
 そもそもテロリストをテロリストたらしめるものは、沸き立つ自らの熱い血のたぎり(エゴ)。イデオロギーなどの大義名分は身の寄り所としての言い訳でしかない。それまでの彼もそうだった。
 しかし、自らの言葉に真摯で心優しき彼は、それから、その言葉を約束として背負い続けるはめになった。そのことは同時にそれまでの狂気的なエゴの行き場の消失を意味した。
 そこから、僕は彼の傷みの軌跡を追うしかなす術がなくなった。

 昨年秋、6年ぶりの代々木オリンピック・プールで行われた Birth Tour の追加公演のタイトルは、奇しくも「The Day〜約束の日」。

 「僕たちの『15の夜』から、君たちの『15の夜』へ…」

 アンコールの最後、彼はそう言うと、もうすでに彼の手を離れ、ファンのものとなった「15の夜」を、あの日に吐いた言葉に折り合いをつけるため放った。
 彼のエゴが消えた「15の夜」はノスタルジーでしかなく、辛く痛かった。風の戦士は自らの血に逆らって、自ら背負ったファンとの約束をあの時と同じ代々木オリンピック・プールで成就した。そして、それが彼の最後のステージになった。

 4月25日、約束を果たした風の戦士は死という形で安らかな眠りについた。
 「15の夜」に凍てつく孤独を慰めた缶コーヒーも現在は百円玉では届かない。足りなくなった分は、僕ら自身で埋めていくしかない。それが空いてしまった風穴から放たれる、彼を愛した放熱への証。

(1992年タウン情報K 6月号より)
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おお、最後、遺作のタイトルに引っ掛けてる!!すげぇなオイラ、当時全然ちがう職業だったのに、、
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Commented by nest*nk at 2009-04-26 15:40 x
当時のあなたが書く映画紹介を、原稿や版下で見るのが楽しみでした。
ある時はうなずき、笑い、ある時はひやひやして見たもんです。
今ではネット等で歯に衣着せぬ表現を見ることが出来ますが、
当時の雑誌ではなかなか見ることが出来ない文章でしたね。
Commented by cinema-stadium at 2009-04-26 22:20
>nestさま
そうでした、おいらの当時のあれをデザインしてたのはnestさんでした!!大学入学が18として、、おお、既に25年くらい前にnestさんとコラボしてたとは!
ところで、あのタウン誌、まだ存在してるんですかね?
Commented by いっとく at 2009-04-27 00:48 x
17年前に初めて尾崎の存在を知り、そして今彼が亡くなった歳とほぼ同じになりました。なんか変な感じです。この前、ニッポン放送で特集やっていましたが何だか煮えきれない感じでした。そんな感じを上記文章は、すっきりさせてくれた気がします。
26歳での凹さんの文章、衝撃的でした。
Commented by cinema-stadium at 2009-04-27 08:27
>いっとくさん
そうか、キミたちと出会ってからも17年なんですね、、キミもあの時のオイラと同じ年になったか、、。
なんか笑える。
by cinema-stadium | 2009-04-26 13:47 | Comments(4)